お ん が え し
日本共産党 西区市政対策委員長 加藤ゆうき(勇来)のブログです。/小学5年から名古屋市西区在住。城西小一浄心中一名古屋西高。幼少時は児童養護施設で過ごし、30代半ばで学校支援員を務めるまでは非正規雇用上等の世捨人の半生。しかし、私はこれから社会に出る子供たちを世捨人にしたくありません。 これまで支えてきてくれたすべての人々と社会に恩返しをと考え続けていた道すがら、折よく日本共産党がチャンスをくれました。応援していただけたら幸いです。
2024年8月25日日曜日
ファンクラブニュース最新号(9月)
2024年8月10日土曜日
満蒙開拓記念館を訪れて
7月14日、西青年支部主催で長野県阿智村へスタディツアーに行きました。
長野県南部に位置する阿智村は太平洋戦争中に多くの村民が「開拓移民」として満州国(現在の中国東北地方)に渡りました。軍隊の食糧を現地生産するため、貧しい農家の次男三男に「大地主になれる」「満州は王道楽土、ユートピアだ」と夢を見させ、国が補助金まで出す国策移民でした。
しかし実際にはソ連国境に近い荒れ地の開拓に従事させられたり、満州の農地を安く買い叩いたため、現地の中国人の恨みを買うこともあったようです。これは、日本人居住区を壁で囲って守り、南満洲鉄道株式会社(満鉄)がもつ炭鉱などの拠点には自警団も配置されていたことからも窺えます。半官半民の満鉄の中には兵隊のような組織があり、移民してきた農民にも武装農民が組織され、末期には「満蒙開拓青少年義勇軍」という訓練された青少年が送り込まれました。満州国の建国理念である【五族協和】【王道楽土】とはほど遠い実態であり、その裏側には関東軍の支配があったことは明白です。
五族協和・・・満日蒙漢朝の五民族が協力し平和な国を作るという趣旨
王道楽土・・・アジアの理想国家である楽土を、武による統治ではなく、徳による統治(王道)により造るという理念
たった13年間しか存在せず、国際的にも国として認められなかった満州国。「日本は満州の支配権を手放しなさい」という勧告が日本の国際連盟脱退の原因にもなりました。中国の撫順市には、日本の首席全権として国連脱退を宣言した松岡洋右の名を冠する町がありました。松岡洋右は満鉄総裁に就任し、その満鉄の利権である巨大炭鉱が撫順市にあったのです。
日本が作った傀儡国家の末路は悲惨なものでした。敗戦濃厚となると満州の関東軍はいち早く撤退を始めます。橋や線路を破壊していったので、取り残された開拓民や一部兵士は徒歩での逃避行を強いられました。軍が撤退したことで、開拓民は現地住民や突如参戦してきたソ連兵に追われることになります。普通に街道を行けば見つかるため、夜の闇に紛れて山道を逃げました。水も食糧も満足でないなか、持てるだけの荷物を抱え、幼い子供を引き連れて数百キロの逃避行です。
途中で気力が尽き、帰国を諦めた人達は集団自決を選びました。隊列についていけない歩みの遅い我が子を、その場に置き去りにするしかなかった親もいます。親日的な中国人に子供を託した人もいます。のちの中国残留孤児です。
ソ連兵に捕まって捕虜となった男性はシベリアに送られ強制労働が待っていました。そこで命を落とした人も少なくありません。これが国の勧めた「往け!ユートピアへ」の結末です。
「私達は騙された。騙そうとする者がいても、騙される者がいなければこの悲劇は起きなかった。だから生き延びて二度と騙されないように勉強しよう」
昭和20年8月14日 (←なんと終戦前日!)
■外務大臣訓令
(満州)居留民は出来得る限り(現地に)定着の方針を執る
満朝に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとす
今を生きる私たちは
歴史に学び 平和の尊さを後世に伝える責任があります
過ちを 二度と繰り返さないために ー
●学べる講座
https://www.manmoukinenkan.com/20210719/
●ビデオ 記念館開設へのあゆみ
https://www.manmoukinenkan.com/
●映画「望郷の鐘」(ダイジェスト)
2024年7月29日月曜日
2024年6月24日月曜日
2024年5月23日木曜日
2024年3月28日木曜日
2024年2月21日水曜日
2024年2月14日水曜日
新たな門出
今年は年明けから大変な災害に見舞われてしまいました。石川県能登半島地震で被害に遭われた方が一日でも早く日常を取り戻せるようにと願いを込めて、私たちも微力ながら募金活動に取り組みました。我々の地区では二月上旬までに1238803円の寄付を集めることが出来ました。全国から日本共産党に寄せられた総額は一億円を突破しています。全額を被災地に届けます。皆さんのご協力に感謝いたします。
この一月には日本共産党の第29回党大会も行われました。長年にわたり党委員長を務めた志位さんが交代し、新委員長には田村智子さんが就任しました。私はどちらの方にも会ったことがないので非常に遠い世界の話に感じますが、社長が変わると方針もガラッと変わって現場パニックみたいなことが起こらないのは、ブレない日本共産党の強みかも知れません。
手っ取り早く気軽にお越しいただくにはどうすればと考えていると、ある方から「事務所の扉をいつもワイドオープンにしておけばどうじゃろうか?」と意見が出ました。すると、長く事務所当番をしてくださった女性からこんな意見がでます。「女性一人でいる時に誰かがアポなしで来たら怖いものよ!」
聞けばその昔、その女性が一人で事務所当番している時に男の人が入ってきたそうです。なんと、花束といっしょにひとかかえもある大きな寿司桶を持って!女性は「いまは食べられません」と断り事なきを得たとのことですが、寿司のその後はもう覚えていないそうで、女性の肝も相当太かったようです。
いろいろな教訓が詰まった事務所の新しい装いでの出発をいま構想中です。
2024年1月28日日曜日
ファンクラブニュース最新号(9月)
私が西区の代表の一人として、被曝79周年の原水爆禁止世界大会に参加してきました。 この大会のコンセプトは・・・ ①被爆の実相を原点としたヒバクシャの援護・連帯と核廃絶運動、それらの次世代継承を柱とします。 ②核兵器禁止条約(TPNW)と核不拡散条約(NPT)による国際社会の核...
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私事ですが12月26日に45歳の誕生日を迎え、またたく間に年の瀬で慌ただしい毎日を送っています。皆さんはいかがお過ごしでしょうか?地元西区も普段あまり人出がない場所がごった返しており、年末の活気を感じてテンションが上がります。今年も一年大変お世話になりました。 年の瀬でせわしな...
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今年は年明けから大変な災害に見舞われてしまいました。石川県能登半島地震で被害に遭われた方が一日でも 早く日常を取り戻せるようにと願いを込めて、私たちも微力ながら募金活動に取り組みました。我々の地区では 二月上旬までに1238803円の寄付を集めることが出来ました。全国から日本...