3年前の11月、帰宅途中の私は街頭宣伝中の日本共産党に声をかけられました。華麗にスルーできる人間ではなかったので足を止めて話を聞きました。「『赤旗』が100万部切ったそうですね」「経団連が政治に口出ししてきていつも的外れなのに、どうして政治家は何も言えないんですか」「全額社会保障に回る予定だった消費税増税分のお金はどこへ消えたんですか」と、私は次々に質問。気がつけば小一時間が過ぎ、ほとんど私の独演会に。話を聞いてくれたのは前名古屋市議の青木朋子さんだと途中で分かりました。後日に改めて会う約束をしました。
そこからは思いがけないことの連続でした。自宅の初訪問の時も「赤旗」購読をすすめられるだけだと思っていたら、入党のお願いでした。入党後すぐにコロナが蔓延し、活動もほぼしていないのに、今度は市議選への出馬要請でした。私の人生に何が起きているのか、自分でも分からないほどの進展でした。
その時、小学校の支援員の仕事にやりがいを感じていた私は市議選出馬要請に正直悩みました。しかし、日々追い詰められる子どもたちを見ていると「何とかしたい」という気持ちもあり、立候補を決意しました。子どもの頃は児童養護施設で育ち、学歴も地盤もない私に何ができるだろうか、まさに手探り状態です。
雲をつかむような気持ちで候補者活動を始めてみると、街にはこんなに沢山の困りごとがあったのかと、驚く毎日です。声無き声があちこちにあり、うつむいて前を向けない人たちがいる。これが自己責任なのか?かねてからの私の疑問が湧き上がります。大人から子どもまで誰もこぼれない社会。理想論かもしれませんが、そこに向かって知恵を出して努力するのは自由です。市井の市民でしかない私が声無き声を聞き、行政に届ける。これが私の目指す議員の仕事です。
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